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バギンズはギュゲスなりや?

中つ国

こちらは Tolkien Writing Day #3 への参加記事になります。



Happy HOBBIT Day!

バギンズ氏におかれましては心より、お誕生日おめでとうございます♪

めでたきこの日において少し暗いテーマになりますが、力の指輪の元ネタのうちの1つとされているギュゲスの指輪のギュゲスと一つの指輪の両バギンズ氏の関係について稚拙ながら意見を述べたいと思います。

バギンズはギュゲスなりや?

ギュゲスの指輪

ギュゲスの指輪をご存知でしょうか。古代ギリシアの哲学者プラトンの「国家」で”不道徳な行為をとっても罰を受けずにすむ力を持った場合に道徳的でいられるか”や”なぜ道徳心を失うべきでないのか”といった倫理問題があつかわれた際に、一例として挙げられたお話です。
リンク先(Wikipedia)を参照していただくと詳しく書かれていますが簡単にいうと、洞窟で姿を消すことができる金の指輪を拾った羊飼いのギュゲス君が王妃様にいけないことした上で王様を殺して自分が王様になっちゃった話です。
金色・姿を消せる・洞窟で拾ったあたりが一つの指輪と重なります。

力と誘惑

指輪物語」において誘惑は一つの指輪が秘める力への誘惑と一つの指輪が周囲の人物を堕落させるためにつかう誘惑の2パターンあって複雑ですが、「ホビットの冒険」と「ギュゲスの指輪」においてはシンプルに姿を消す力を使うかです。
フロドもビルボもギュゲスも誘惑に負けました。指輪の力をかりて本来の自身では実現できない行いを為したのです。

誘惑に負けてはいけないのか

一つの指輪の力が「指輪物語」においてエルロンド会議その他で何回も否定されるのと同じように、「国家」においてもプラトンの師であるソクラテスがギュゲスの指輪を否定します。
ソクラテスは力への誘惑を個人の決断により拒絶できるとし”道徳的でいることは悪事に対する罰をうけるのが怖い弱い者の選択ではないか”の問いへ”不道徳は人の魂を堕落させ人生を不幸にする”と答えます。
「国家」において外見からはみえないとされていますが「指輪物語」においては一つの指輪の誘惑に負けた人物達の末路に体現されています。
つまり、イシルドゥア・ゴラム・ボロミアらはソクラテス風にいうと”欲望のあまり魂を堕落させ人生をみじめにした”ということになります。
なかでもゴラムは追放され、獣のように過ごすしかなく、スメアゴルであった時の姿と比べ化け物の様に変化してしまい、拷問を受け、更に火口へダイブという何から何まで酷い人生になっています。

道徳心の秤に乗るもの

では、フロドとビルボもそうなのでしょうか。
フロドは癒えない傷を負い、ビルボは人生を「薄く引き伸ばされたバター」に例えて嘆きます。これはソクラテスのいう”外見からみえないが魂の堕落した不幸な人生”なのでしょうか。ギュゲスがそうであったと、ソクラテスが思うように。
これに対して私は、ちょっと卑怯ですがYESであってNOだと答えます。
指輪物語」は何度よんでも人を惹きつける複雑なお話です。誘惑が2パターンあったように道徳心も2パータンあると考えるのが自然ではないでしょうか。
つまり指輪の誘惑に負ける事とは別に、もう一つ道徳心をはかる大切な事が用意されているのだと考えます。
フロドとビルボはこの、もう一つの道徳心でもって哀しみを内包しながらも微笑んで退場していったように私は思うのです。
それは…お前またそれか、と思われそうですが、やはり、このもう一つの道徳心とは「情け」ではないでしょうか。
フロドとビルボは、ギュゲスのように誘惑に負けました。
しかし、そこで誘惑に負けた状態に留まらなかった。過ちを犯しても、省みて己を正したのです。




バギンズはギュゲスなりや?

私はこれに、NOと答えます。